50.集合体

50.集合体

る日の事、不思議な事が起きた。

A男に、様々な声が聞こえてきたのだ。
「私は無力です」「私も無力です」「私も私だけでも何も出来ません」
「私も考えることも出来ません」「私も出来ません」

A男はその声で気が狂いそうになったため、カウンセリングを頼むことにした。

先生は、A男に聞いた。
「どこからか声が聞こえて来るというのは、よくある相談の一つなのです。それで、あなたはどれがあなた自身の声だと思いますか?」

A男は答えた。
「はい。もちろん全て私自身の声だと思っています。でも、私は無力だとは思いません。考えることも出来ますし、こうやって先生と話すことも出来ますので」

すると先生は言った。
「なるほど。ではその声はあなたの無意識から出ている声なのかもしれませんね」

それを聞いたA男は答えた。
「いえ。これは無意識の声ではないと思います。これは全て私自身の声だと、私には分かっていますから」

先生は言った。
「では、一体何なのでしょう?」

A男は答えた。
「これは私の中にある、神経細胞の一つ一つが発している言葉だと思います」

先生はようやく理解した。

A男は、言葉を続けた。
「細胞一つ一つどれをとっても私です。しかしそれら一つだけでは何も出来ないのです。」

それを聞いた先生は質問した。
「なるほど。ではあなたはそれらの集合体というわけですね。では、今話しているあなたは、それらの集合体として話されておられるのですか?」

A男は言った。
「そうなんです。私の悩みはまさにそこなのです。聞こえてくる声は問題ありません。今こうやって話している私は誰なのか?ということなんです。それを考えると夜も寝れません。先生、どうにかしてください」

先生は言った。
「あなたはあなたですよ。それ以外の何者でもありません。
それでも納得できませんか?」

A男は言った。
「そうですね。それで納得できるなら、ここに相談に来ていません」

先生は言った。
「分かりました。お薬を出しておきましょう。
これで今日からよく眠れますよ」

補足

「私」という問題を考える時、何らかの集まりと考えるのは、カテゴリー 錯誤といえるのだろうか?

おそらくこれは、言葉と世界を混同させないためには有効だといえるだろう。
これはスマートフォンが部品だけだと、スマートフォンと呼べないことでも理解出来る。

例えば、どこかの一部が壊れたとしても、スマートフォンとして機能する限り、それはスマートフォンだといえる。
機能しなくなった時、それは「スマートフォンだった」あるいは「使えないスマートフォン」ということになる。

そうなると、私が私と認識できなくなったとして、例えば植物人間状態になったとしても、私だといえるだろう。

だとすると私とは、他人が私を私と認識するための目印のようなものなのかもしれない。

であるなら、私という存在はどこにあるのだろうか?もしかすると、厳密にいえば私は私とは言えないのかもしれない。私がそう思うかぎり..

※当ブログで取り扱う物語はフィクションです。実在の人物、団体、事件などとは一切関係ありません。

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