57.愛着

57.愛着

子は次々と抑えきれず溢れ出る涙を、ポロポロと流しながら夕食を食べていた。

A子は繰り返し呟いた。
「ごめんなさい。ありがとう」

A子は思い返していた。
「あなたと出会ったのは、一年前のことだった。あれから癒やされる日々が続いた。それも今日で終わりね..」

A子は更に呟いた。
「私は酷いことをしているのかしら。そうね、きっと酷いことなのでしょう。でも、これはあなたへの愛情の証なの。どうか、許してちょうだい」

A子はなおも自分に言い聞かせるように続けた。
「これは私達が生きていくために必要なことなの。あなたの犠牲は決して無駄にしないと誓うわ」

A子は最初、このように心を深く痛めながら食事についていた。
そして一年後、また同じ事が繰り返された。
A子はその事が繰り返される内に、少しずつ慣れてきたようだ。

そして、あれから十年後。

A子は食事の前に一言呟いた。
「いただきます」

A子は、豚を飼って食べる生活を繰り返していたのだった。

ある日の事、ディナーに招待した友人が冗談で言った。
「これ本当に美味しいわね。いっそ飼っているチワワのピーちゃんも試してみたら?」

A子は激怒して言った。
「そんな事、出来るわけないじゃない!」

A子は落ち着いた後、友人に言った。
「ごめんなさい。つい感情的になっちゃった。
そうね。もし事故で死んだ時は、そうしないともったいないわね」

補足

道徳性があるか?ないか?は感情移入によって、変わってくるのだろうか?
毎日殺処分されて食卓に届く肉に対しては、殆ど哀れみの感情もわかないといえるだろう。

それが、その個体に対しての情報量が多くなる事で、親近感が湧き感情移入してしまうことは当然であるといえるだろう。
それが多いほど、感情移入は大きくなり、究極的には自分自身の分身のようになってしまう。カリスマ性のある人が死んだ後、会って直接話した事もない人が後追い自殺をしてしまうこともあるほどだ。

感情と道徳性は切り話せない関係にあるとして、感情移入がないものに関しては冷酷になっても許されるわけではない事は明らかだ。 もちろんその事を忘れていなければの話だが..

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