33.選択


33.選択

Aは躊躇(ためら)っていた。

細菌を搭載したミサイルがご動作で発射してしまい、Aはそれを止めるための任務についていた。

ミサイルを止めるためには、迎撃し撃ち落とさなければならない。
しかし撃ち落とすことで細菌がばらまかれ、その結果百万人の人間が死んでしまうことになる。

止めなければ、遠く人里離れた研究所に落ちる。

そこには一人しかいなかった。
止めなければ、犠牲者は一人で済む。

もはや一刻の猶予も許されない。Aには、悩んでいる時間はないのだ。

Aはその瞬間、考えを巡らせた。
数字上では簡単な選択のはずだ。
一人の犠牲で済ませる方が、犠牲者の数は少なくて済む。
とは言っても「一人の命は地球より重い」のではないのか?
であるなら、重さで言えば、やはり大勢の人間の方を選ぶべきではないのか?

ところが問題はそう単純な話ではなかった。

その一人とは研究者であり、今行っている研究で一千万人単位の人間を救う開発が出来ることは誰の目から見ても明らかだった。しかも、それはまだその研究者の頭の中にあるので、他の人が真似をする或いは引き継ぐなどの代替えはきかなかった。

Aが決めかねていた時、新たな司令が届いた。

「ミサイルは撃ち落とさなくて良い。繰り返す。ミサイルは撃ち落とすな」
Aは命令に従った。

Aは帰還後、その理由を聞いた。

研究者が死んでも、その研究の内容を知るものは少なく、まだ数千万人の人間が救われるかは知られていない。

その一方で、百万人が死ぬことは直ぐにニュースになるからだということだった。

結局のところ「世間体」が判断を決める材料となったのだった。

補足

世間体だけの理由で、無実の人を助けるために、無実の人を犠牲にすることは許されるのだろうか?

例えば無実の人を助けるために、無実の人を拷問で口を割らせるような、罪のない人達を助けるために罪を犯すことは、助けられる人達にも適用されてしまう。

仮にそれが一般的に云われているテロだとしても、同じ主張をするかもしれない。

つまり非道徳的行為を止めるためならば、非道徳行為は許されるのか?といったジレンマだ。
ここまで極端でなくとも、こういった難しい選択は頻繁に起きているといえるのかもしれない。

それは勝手な都合による理不尽な基準で選ばれることも、少なくない..

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