42.経験


42.経験

れはハラハラドキドキの、スペクタクルファンタジーの連続だった。

A子は、毎日の生活にとても満足していた。
ベーシックインカムにより毎月給付されるお金で十分足りていたので、仕事をしないで生活をしていた。加えてボランティアで創作活動を手掛けており充実した日々を送っていた。

そんなある日の事、これまでにない画期的なオンデマンド配信サービスが開始された。

そこで配信されるものは、涙あり笑いあり、何でもありのどれだけ見ていても飽きないものばかりだったため、一日中どころがズッと見ていられた。
他の娯楽もそれとは比べ物になるものはなく、オンデマンド配信だけで満足できるため、殆ど意味をなさなかった。

それはA子が生まれた時からあり、食事は家に届けられ他の全てはインターネットで処理できるため、A子は一歩も外に出たことがなかった。
それでもA子は、インターネットの情報とオンデマンド配信から得た知識により、この世のあらゆる事を知っていたため、色々な事を想像できた。

そんなある日の事、何事も経験しないと気がすまない人生を歩んできたB子とリモートで対面する機会があった。

A子は、自分が知らないことを聞けるのではないかと、楽しみにしていた。

ところが実際に話しをしてみると、自分が知っている話ばかりだった。
A子は言った。
「申し訳無いけど、私が知っていることばかりでしたわ」

するとB子は言った。
「そうなの。それは残念ね。でも実際に経験してみないと分からないんじゃないかしら。あの感じは伝わらないと思う」

それを聞いたA子は、最後にこう締めくくった。
「そうね。それはあなたにも言えることなんじゃないかしら」

そして、接続が切れる前に2人同時に言った。
「でも、想像はできるわね」

補足

ただ知識を得るより、経験した方が身体全体で感じられるので情報量が多いといえるのかもしれない。とはいえ、経験しないと知識を得られないというわけでもない。
しかも、感じ方は人それぞれなのだから、尚更だといえるだろう。

どちらにしても「見える、見えない。気づく、気づかない」は、どこに重要度があるかでフォーカスする箇所が変わり違いが生じる。
つまり、価値観でも変化する可能性がある。

人生と研究とは違うわけだから、客観的かつ多角的に分析しているわけではないし、尚更だといえる。

それでも、コミュニケーションと共感を考えた時、どうなるだろう?

同じ情報でも、知識だけ得た人と実際に経験した人では話が合わない可能性が高いと思える。

本当にそうなのだろうか?

例えば、ハワイのワイキキビーチを映像だけで観た人と、実際に行った人では、情報量が違うといえる。
映像ではそこに映し出されているものしか分からない。
実際に行った人は、潮の香りや人だかりや、アイスを売っている店など細かいことも記憶に刻まれている可能性がある。

仮に、それらの情報全てが映像で観られるなら話は別だ。
もし実際に行った人が、メガネに備え付けたカメラで全て記録していたとして、それを映像で観たとしたら、少なくとも「視覚だけ」という意味では同じといえるのかもしれない。

もちろん視覚は五感の一つに過ぎない。
五感の全ての情報を得られることで、はじめて経験した情報と同じ情報を得られたということになるだろう。
5感全てに接続されない限り..


次は..43.予測

他の興味深い記事もご覧ください。お時間の許す限り、さまざまなテーマをお楽しみいただけます。
※当ブログで取り扱う短編小説の物語はフィクションです。実在の人物、団体、事件などとは一切関係ありません。

読者の皆様へ

この記事をご覧いただき、ありがとうございます!この記事に関する間違いなどのご意見、ご不明点などのご質問がございましたら、お気軽にお問い合わせください。お問い合わせフォームは、パソコンからはサイドバー、スマートフォンからはトップページのメニュー内にございます。

このブログの人気の投稿

WordPress多言語サイトの最適プラグイン比較と設定ガイド:初心者必見の15の解決策

AIを駆使して効果的なSEO記事を作成する方法

コピーライティングテクニックの参考書(期間限定)メニュー

子供を守る!学校での熱中症対策:教師と保護者の実践ガイド

ホラー映画ファン必見!おすすめのVODサービス徹底ガイド

プライバシーの尊重

皆様からいただいたフィードバックや個人情報は、厳重に管理し、第三者に開示することは一切ありません。安心してご意見をお寄せください。

皆様からのフィードバックをもとに、より良いコンテンツ作りに努めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。